【レースレポート】
ツール・ド・おきなわ 100kmオーバー40
昨年11位、今年こその想いを胸にスタートラインに立った。
ただ、思い返せば今年は良い事、悪い事いろいろと重なり順調なシーズンではなかった。
もう辞めようと思った昨年のゴール後に、再挑戦を進めてくれた妻。
4月に鎖骨を折った時も沖縄には間に合うと諭してくれた妻。
そんな妻にホテルを出る前に礼を言った。
10:50レース開始。
陽射しが強く暑くなりそうだ。
スタート直後の奥の坂では特に動きはなし。
海岸線に出て後方から力のある選手が前に上がってくる。
なるべくポジションは常に前目をキープ。
散発的にアタックはあるものの風に負けて自然に集団に戻って来る。
大集団のまま与那の上りへ。
あまりの密集度に危険を感じ、脚を使って最前列までポジションアップ。
直後に後方で落車の音を聞く。
去年より速いペースで最初の普久川ダムへのセレクションがかかる。
直前に風邪をひいて呼吸が苦しい。
今年はこの上りがカギになると想定して、宮杯後はひたすら平日のローラーで20分走を繰り返して来た。
それでも想定以上のパワーを必要とされて弱気になる。
オールアウトぎりぎりで頂上を通過。
高速のダウンヒルで集団後方まで下りながら回復に努める。
今年は40人ほどが残った。
ここからはしばらくサイクリングペースが続く。
今年初めて参加した選手から『遅すぎないか?』と聞かれるほど。
とは言え、アップダウンの連続と強い陽射しで少しずつ消耗して行く。
65km辺り、宮城のチェックポイント手前から急にスイッチが入ったように集団は加速。
前方でアタックがかかり、それを追走する動きのようだ。
あまりに突然だったので数人が取り残されたようだったが、何とか集団後方で事なきを得る。
この時、2人が抜け出してそのうちの1人が逃げ切り勝利を飾る。
一時緩んだペースは海岸線に出て再び上がる。
いま思えば、海岸線に出て逃げの姿が見えなかったからだろう。一列棒状で横風に耐える時間帯もあるが全く人数が減る気配はない。
皆、このレースに賭けて鍛え上げて来た感がある。
去年置いて行かれた80km辺りの坂を越えた。
もうひと踏み我慢出来なかった忌々しい記憶が蘇る。
坂の頂点を越え、去年の自分を越えられた幸福感に浸る間も無く、多くのシーンで名勝負が繰り広げられて来た羽地の上りが迫る。
ここまで何度か脚が攣りそうになる局面もあったが、アスリチューンで凌いで来た。
勝負所を目の前に痙攣の兆候はなく、良い状態で上りに入る。
いよいよ羽地の勝負所へ。
想い描いて来た最終局面でのせめぎ合い。
少しずつ傾斜がきつくなるほぼ直登するレイアウト。
上り始めて橋を渡りきった辺りからジワジワと集団と差が開く。
パワーが、ほんの少しだけ足りない。
ほんの少しだけ。
20人ほどが先行。
トンネルを抜けて直角に右折。
集団はまだ50mほど先にいる。
パラパラと落ちて来る選手をパスしながら前を追う。
まだ追いつける。
下りに入って6人の小集団で協調して前を追う。
58号線に出てからも諦めずに踏むが、自分だけが脚を攣り脱落。
イオン坂の途中で完全に脚が止まり今年のレースを終えた。
3時間8分14秒405 +2分51秒35 23位 AV.31.87km/h
順位は去年より後退したが、トップとの差は最少値。
与那の上りも昨年の自分を上回った。
家族や仕事に影響を受ける事が多くなる年代だが、それら全てを引っ括めて戦うオーバー40というカテゴリー。
去年より遥かに“人間”としての負荷は高くなっている中で、練習量がモノを言うレースでこれぐらい走れたのは満足。
一方で、さらに高いレベルでの結果を求めるならば、年間を通して走るべきレースの選定と日々のトレーニングにもう一工夫を求められたレースだった。
小澤 隆行